■ 幸福には定義が必要です
人はみな幸福を求めているもの…
しかし、”幸福”には、それぞれの定義が必要だと言うことを知らない人も多い。
”私にとって”幸福とは? の ”私にとって” を定義すること。
それが、何もかもスタートである。
幸福とは作り上げるものである、ということだ。
■ 山
私は山梨に来て、山さえできたら幸福、という風に、自分の幸福を定義した。
そのために大きく幸福が拡大したな~と思う。もちろん、最近では、山ではなくて、クライミング、に再定義されてしまっていたのだが…。
■ 幸福を規定する
幸福は何度でも再定義できる。
さて、今度は私の幸福を何と定義しようか? 私にとって、山という活動で大事だった価値観は
小さくても、自分で登る山、
人に登らせてもらった6級よりも、自分で登った4級
小さなステップを端折らない
ということだった。主体性、ということを大事にしてきた。
幸福の核となる大事なことは、
何をするか?ではなく、いかにするか?
ということだ。
山だって同じだ。どの山に登るか?ではなく、いかに登ったか?が大事なことだ。
GPSのトレースを追いかけるような山ではなく、自分自身で尾根と谷を読み、読図して歩く山。
ピンを追いかけるような登攀ではなく、自ら氷のラインを読むようなクライミング。
人はそれぞれ、自分が登るべき山を持っている。
つまり、人生の課題、というようなこと、使命、というようなことだ。
使命を全うする人生がもっとも幸せな人生である。
与えられた使命を全うできるように、人生は何もしなくても回っていくもの。
大事なことは思い出すに値する、美しい思い出を作っていくことだ。
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