Feb 4, 2017

ベテランの経験値の共有資源化

■ ベテランからの助っ人コメント

午前中は仕事モードで、相沢で学んだことを記事にした。

今からアイスクライミングを始める人に、少しでも役立つように、と考えてのことだ。

 ・トップロープの張り方の注意点
 ・2本のロープで登るか、1本のロープで登るか?

この記事を書いた後、あるベテランのクライマーから、「間違っているよ~」との指摘を受けた。とてもうれしかった。

・・・というのは、私は大変難しいチャレンジをしているからだ。

■ 経験を原則化する難しさ

ベテランと言うのは、経験値が高い人たちのことだ。経験から学んだ人たちと言える。それは、帰納法での学びだ。長い時間がかかる。

一方、新人がワカラナイのは、原則。支点を作るにも、原則で教えて欲しい、と思っているのは、ある特定の現場の状況に即したこと、を教わっても、別の現場に行ったら、それは使えないからだ。原則を教わりたい。要するにどういうこと?それは素直な思いだ。

しかし、これは演繹法だ。原則を学んで、それを現場に応用する。

しかし、ベテランは原則は教えられない…。ベテランの頭の中は、Aという状況の時はこうだし、Bという状況の時はああだし…一概に言えないな~、となっているのである。多分。

状況の分類は、されていない。ので、一概に言えないとは言いつつ、では、色々ある状況の中身は言えない。色々ありすぎて、どれから言っていいのか…となってしまう。

こういう事情でベテランとの対話は終わりになることが多い。

ベテランの側も、勝手に学んでもらおう、盗んでもらうしかないな、と思ってしまうし、新人の側は、自分が何が分かっていないのか、分からないので、質問しようにも質問できない。そういう状況にある。

そして、私が挑んでいるチャレンジとは、

 ベテランの経験値を原則に落として、記述する、共有資源化する

という事である。

だから、ただトップロープで遊ぶだけのことでも、ベテランと行くと色々と勉強になる。

本当に文字通り、1から10を学び中だ。ちょっとした違和感や気づきから、学ぼうとするのだ。それは、まぁ、いいや~と見過ごさない、ということだ。

■ 今回の学び

今回は、長いロープを1本で使う方が2本持ち寄るより楽だ、と言うことが分かった。

これは、隣のパーティがいなかったら分からなかったことかもしれない。

ただ…実は…、ちょっとしたヒントや気づきから、原則に落とし、フレームワークに切り替えるのは、とても大変だ。原則を抽出している間に、見落としが発生するのである。

現場ではそう行動していなくても、抽象化し、フレームワークに落とし込むと、抽象化のプロセスで、切り落とされる細部があるからだ。

なので、そのウッカリを拾ってもらえると、とてもうれしいのである。

私自身、経験もスキルも、登攀力もないのに、情熱だけで、苦労して、原則をまとめており、自分が力量不足なのを知っているのであるから。

例えば、今日拾ってもらったミスは、残置があっても、普通は残置でトップロープはしない、ということだ。普段、私もしない。が、支点のケースを考えている間に、抜け落ちてしまった。

余談だが、私が情熱をもってクライミングに取り組んでいることが、青ちゃん他、前の師匠を含め、山の先輩たちが、私に知識を教えたい、と思ってくれる唯一の理由である。

私がすごいクライマーになる、ということは考えられないのであるから…。

悲しいことに、実は、喧嘩する理由も同じで、期待のほうが大きすぎ、私の理解がベテランの期待を下回る場合も多い。

登山体系も読み、技術書も英語の原書で読み、山の本の読書を人一倍していても、ロープワークをコソ錬していても、ネットで技術情報を集めていても、やっぱり分からないことはいっぱいあるのだ。なので、私ほど熱心でない人やまだ初めて間もない人なら、なおさら分からないだろう…と思う。

ちなみに、私は英語が一般的にはペラペラと言われるレベルで、情報収集力は、市場調査会社の調査担当くらいのスキルなのに…である。しかも、登山は年間128日も行っている。もう7年だ。それでそうなのだから、週1回しか山に行かないとか、本を読む時間がない人は、知識が追い付かないかもしれない。

クライミングも同じで、ぶら下がったり、ビール瓶を振ったり、努力はしているが、期待には、応えられないでいる。そんなに急に強いクライマーには、なれなくてすみません。

■ 気づき

今回、青ちゃんは、残置ビナにロープを掛けて降りてきた。通常トップロープで遊ぶときは残置は使わない。

…なので、残置を使ったと言うことは、ロープを引きぬいて、私にリードさせようとしていたのだろう…ということに、今日、気が付いた。

だが、登り始めは、”リードしない”で合意していた。なにしろ、いきなり50mってないよね、と思った(^^;)。

彼の心が変わったのは、リードで取り付いてみたら、意外に簡単だったから、なのだろう。これは私でもリードできるな~と登って確認して思ったのではないだろうか。

実は前の日に、”55mⅣ級をリードしてください”とメールが来ていたが、朝に ”そんな素っ頓狂な話ダメですよ”、と青ちゃんには話していた。まだ20mでアップアップで、35mの大滝は恐怖の対象。

主体性、という問題がある。成長する人は、主体的に努力するものだ。流行りの言葉ではアクティブラーナーとも言う。アクティブに学ぶ人、という意味。

私はこれまでも独学が主体で、英語も、プログラミング言語も、登山も、ヨガも、マスターしてきた。主体的に学ぶタイプだ。塾も予備校も行ったことがない。

自分では、次は10mの滝をマスタースタイルで登り、その次は20mを、その次は30mを…と考えていた。順繰りに大きくする作戦だ。そして、少しずつ傾斜をあげて行く。まずは、4級の10m、4級の20m、順々に大きくして行って、五級へ進もう。そんな感じだ。

一方、青ちゃんの頭の中にあるのは、そうした徐々に大きくする作戦なんかではないのではないだろうか?

彼女の弱点は何だろうか?

ムーブはもう安定している。アックステンションも知っている。スクリューも打てる。安定した体制も作っている。ラインも読んで登っているようだ。アックスバチ効き以外、最近は見ていない。氷柱もムーブで登れる。短いが6級まで登っているから、ちょっとした核心なら越えられるだろう。セカンドなら35mも、もうノーテンだ。落ちない上、確実で早い。以前はビレイヤーを選り好みしていたが、最近はそうではない。・・・では、何が核心だろう?高さを怖がっている。メンタルだ。

メンタルの弱さを克服させるには?…易しくて長い課題をリードさせ、自信をつけさせよう。

・・・とまぁ、おそらく、こんな具合に思考が働いたのではないだろうか?

だから、ベテランに、

一般的にアイスクライミングの初心者には、どこがリードに適しているんですか?

などと、質問しても返事は返ってこない…(汗)。一般論など聞いても ”?” となってしまうらしいのだ。「返事のしようがない」と言われることが多い。

その心は?というと、氷瀑は、ある時は4級でも、冷えれば急に4級プラスになってしまうし、プロテクションが悪ければ、4級でも、リード初心者には、全く向かない。

さらに言えば、世の中には、4級はこわごわ登っているのに、六級では輝いている人もいるので、そう言う人は、また別のリードへ進むノウハウが必要になるかもしれない。

・・・とまぁ、二人の師匠を得、観察した結果、ベテランと新人が意思疎通でミスコミュニケーションが起こるのは、このような事情のようだ、と思う。

教えたいし、学びたいと思っていても、片方は帰納法で教えたい、片方は演繹法で教わりたい、と思っていることが、コミュニケーションのギャップとなる。思いが通じ合えないということが起こるのだ。互いに相手をいたわりの心で思っているにも関わらず。

■ 惜しかったなぁ

…というわけで、ベテランのほうから見ると、何でもハイハイと聞いてくれる人が良き後輩。実際、先輩は常に、後輩の良きに計らっているわけだからだ。私が先輩の時だってそうしており、後輩に全面的に合わせている。しかし、ハイハイと聞く後輩は、主体的とは言えない。受動的だ。

ケツを歩いてくれる先輩がいい先輩だ、というのは、クライミングでも言えることだ。後輩がチャレンジしたい!というときに、任せろ、とビレイしてくれる先輩が良い先輩だ。

…とはいえ、人の子だから、誰にとっても背中を押されないと乗り越えられないこともあるだろう。

今回の相沢の大氷柱は、2本登ってもパンプしなかったので、「青ちゃんが、私のスキルでも、もう登れると言ったのは、本当だったのかもしれないな~」と感じた。

だとすると、惜しかったなぁ…少し色気を出しておけば良かったのかも?

でも、目視した時点では、リードではとても取り付くのは無理だと思えた。大きすぎる。

善五郎の滝のⅣ級ラインは、易しいことが私自身、見て取れた。ので、ピンクだが、リードするのは、自分で自分に課した課題だった。高さの克服。

ピンクにしたのは、念のための保険だ。まだスクリューを打つ場所に対しては信頼度が高いわけではないからだ。

三ルンゼでリード練習した時は、全くスクリュー打つ場所には問題がなかったので、マスタースタイルでリードした。氷の質として、滑滝だと、まっすぐなラインに打てるからだ。段々がある場合は、登攀は容易でも、スクリューを打つ場所の見極めは難しくなる。

私としては、課題はマスタースタイルで距離を徐々に長くしていくことだと思っていたが、ベテランにはベテランの思考と言うものがあり、おそらく、それは経験上、培ったもので正しいのだろう…。

■怖さ

しかし、相沢は高かったなぁ。高度感と言うのは慣れの問題であり、私は高度に弱いほうではないが、落ちるのは非常に怖い。フリークライマーのように落ち慣れてはいない。

何しろ、私がリードできる箇所は被っていないところだから、落ちれば、どこかにぶつかること必至だからだ。

ラオスでは落ちながら登れたが、それは被っていて、落ちてもなんともない、ということを実感したにすぎない。壁が寝ていれば落ちればぶつかる。

易しくても落ちれない課題は、落ちないようになってからしか登れないってことだ。難しくても落ちれる課題は、落ちるまで登っても問題がない。

それにしても、私は本当に恵まれた境遇にいると思う。多くの人がベテランから直々に指導してもらえるわけではない。

別に懇切丁寧に指導しているということはないが、聞いたらなんでも教えてくれる。レスキューの基礎も教えてもらった。稀なケースと思う。

非常に感謝しているから、それを世の中に少しでも還元できたらいいな、と思っている。

そのためのブログ、ということになっている。


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